薩摩焼、種子島焼の伝統美、長井陶苑
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島津義弘(島津氏17代)は千利休の弟子として茶道にも造詣が深く、そういうわけか慶長の役(1592〜98)に参加した折りに、1598年朝鮮陶工を連れ帰りました。それが薩摩焼の歴史の始まり。陶工数十名は、鹿児島前之浜、東市来神之川、串木野島平、加世田小湊に陶工数十名に上陸。薩摩焼は島津氏の御用窯として始まり、諸国の陶法を取入、藩の方針によって居城の移動に伴う陶工の移住移よって各地に多くの窯場が出来たこともあり種類が多い。白薩摩は、無色や淡黄色のひび釉、黒薩摩は各種色釉、染付や三彩釉の磁器など変化に富みます。また、窯場は、地域により苗代川系、龍門司系、竪野系、西餅田系、平佐系の5系統に分類されています。

苗代川系
慶長4(1599)年、串木野の島平の上陸した朝鮮陶工達は朴平意(1559〜1624)を中心に東方丘陵地に串木野窯を築いた。薩摩焼最初の窯。

龍門司系
串木野の島平に上陸した朝鮮陶工達の芳珍の子孫山元碗右衛門は、加治木の山元に窯を築き、ついで湯の谷に移った。この後、小山田で焼成に適した粘土を発見し、藩の保護もあり、龍門司窯を築き多くの製品を焼いた。芳工は本名を河原十左衛門種甫と言い抜群の指導者として活躍し、1779年には、長男芳寿を伴い肥前に陶法視察に赴いている。

竪野系
金海(星山仲次)は、帖佐にいた島津義弘に召し出され(1601)年に宇都窯を築いた。陶法修業のため瀬戸、美濃地方に出かけ、茶陶を焼くようになった。茶碗が多く、朝鮮の白陶土を用い「白薩摩」のもとになる。

西餅田系
修験者小野元立は、1663年、帖佐の西餅田に元立院窯を築いた、この窯では、蛇蝎釉やどんこ釉と呼ばれる数層に釉を厚くかける独特のものが焼かれた。黒蛇蝎釉は、白釉の上にシラスと土灰による黒釉を重ねたもので、熔融寸前の黒釉がちぢれて蛇蝎状となった景色が好まれる。

平佐系
川内平佐の今井儀右衛門は、天草石を購入し、出水の脇本に窯を築き染付白磁を焼いたことが始まり。その後、1786年伊地知団右衛門は、皿山に北郷窯を築いて磁器を焼いた。1810年には、平佐大窯が築かれ盛況を呈した。

 

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